2018年 NHK大河ドラマ 【西郷どん】ゆかりの地を探索してみた!



 
2018年のNHK大河ドラマは、西郷隆盛(吉之助)が主役の
「西郷どん」が放送されます。

大河ドラマで西郷隆盛が主人公となる作品は
1990年の「翔ぶが如く」以来になります。

ドラマの原作は林真理子さんの同名小説で
脚本は朝ドラ「ごちそうさん」を担当した中園ミホさんです。

また、主演の西郷隆盛は鈴木亮平さんが演じます。

今までにない大河ドラマになりそうで、とても楽しみです。

ここでは、ドラマの舞台となりそうな
西郷隆盛のゆかりの地について調べてみました。

ドラマをより楽しめるよう、一足先に探索してみましょう。
 

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西郷隆盛生誕の地

西郷隆盛は、鹿児島城下の下加治屋町(現鹿児島市加治屋町)で
文政10年(1828年)に生まれました。

 

ここは下級武士が多く住んでいた町で、大久保利通など
幕末から明治維新と活躍した人物を多く輩出しています。

現在、生誕地は公園になっていて、西郷隆盛誕生の碑が置かれおり
西南戦争から10年後の、明治22年に建てられました。

 

同じ敷地内には、弟の西郷従道の誕生碑も置かれています。

 

 大河ドラマ 西郷どん「西郷隆盛誕生地」は鹿児島中央駅から…

 

西郷隆盛の「武家屋敷跡」と「野屋敷跡」

鹿児島中央駅から徒歩10分ほどのところに
隆盛の武家屋敷跡があります。

明治6年(1873年)に中央政府から退いた隆盛が住んだ場所で
土仕事や猟をして生活していたそうです。

 

その後、屋敷は西南戦争で焼失
明治13年(1880年)に弟の従道が再建するも
昭和20年(1945年)に空襲で再度焼失してしまいました。

 

現在は鹿児島市が公園として保存しており
隆盛が使用していた井戸は、そのまま残っています。

 

公園内には、平成3年(1991年)に
隆盛と庄内藩家老 菅実秀の対話像が建てられました。

 

また、鹿児島実業近くには、隆盛の野屋敷跡があります。

農業に特化させた生活の場で、屋敷というよりは
農家小屋という感じだったそうです。

 

現在は跡地の碑と説明看板があり
休憩所が設けられています。

 

 大河ドラマ 西郷どん「武家屋敷跡と野屋敷跡」聖地巡礼に行こう

 

西南戦争ゆかりの地

中央政府から退き、鹿児島に戻った隆盛が士族の若者たちの教育の場として
鹿児島城の旧厩跡に、私学校を建てました。

私学校周辺は、西南戦争の激戦地となり
当時の弾痕跡が、今も石塀に残っています。

 

また、西南戦争最後の激戦地・城山は
隆盛たちが立て籠もり、徹底抗戦を図った場所です。

 

ここには隆盛が最後の5日間を過ごした洞窟
「西郷洞窟」が残っています。

また、麓には西郷隆盛像が建てられています。

奄美大島の「西郷松」と「西郷南洲流謫(るたく)跡」

隆盛が最初に島へと逃れたのが奄美大島です。

 

安政5年(1859年)、隆盛が奄美大島の龍郷湾に到着した時
船をロープで結んで接岸した松は「西郷松」と呼ばれています。

しかし、残念なことに平成23年(2011年)6月
塩害や病気・白アリによる被害で「立ち枯れ」と診断され
伐採されてしまいました。

 

現在は、上陸の碑だけが残されています。


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隆盛が奄美大島で暮らした約2年8ヶ月の間
愛加那を島妻に迎え、二児を設けています。

 

鹿児島へ去る際に、残された家族が生活出来るよう
建物を新築したのですが、それが龍郷の西郷南洲謫居跡です。

建物内には隆盛の自筆の書、枕などの
遺品が展示されている資料館となっているのですが
私有地のため無断立ち入り禁止です。

 

有料拝観施設ですが、休館日は不定期となっているそうです。

沖永良部島の「西郷隆盛上陸の地」

文久2年(1862年)から5年間、隆盛は遠島の処分を受け
奄美諸島の島々で暮らしています。

沖永良部島の伊延港近くには
隆盛が上陸した場所として石碑が建っています。

京都の「清閑寺・郭公亭」

京都市東山区にある清閑寺は、平家物語の悲恋で知られる
高倉天皇と小督局ゆかりの寺院です。

薩摩藩は、将軍継嗣問題で一橋慶喜派だったため
京都清水寺成就院の僧であり、勤皇派の月照とともに
慶喜を将軍にするよう朝廷へ働きかけるも失敗。

 

大老・井伊直弼の弾圧の対象となってしまいます。

 

ここ清閑寺境内にある「郭公亭」で、隆盛と月照は
幕府の追っ手から逃げる密談をしたと云われています。

現在は、その跡地に石碑が残っています。

山口の「枕流亭(ちんりゅうてい)」

明治維新の志士たちの集会所だったのが
山口市にある枕流亭(ちんりゅうてい)です。

西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などが討幕の密儀を重ね
薩長連合討幕軍結成の舞台となりました。

 

その後、2度、3度と移築され
現在は香山公園内に移されています。

東京の「池上本門寺・松濤園」

慶応4(1868)年、隆盛を参謀とした討幕軍は
池上本門寺(現東京都大田区池上)に本陣を置きました。

江戸城総攻撃の直前、幕府側の勝海舟は
ここを訪れ、隆盛に面会を申し込みます。

 

その会見が行われたのが
奥庭の松濤園の四阿(あずまや)です。

 

その後、薩摩藩屋敷で2回会見が行われ
江戸城無血開城が実現しました。

松濤園は現存しており、年に数回公開されますが
四阿は無く、会見の碑文が置かれています。

西郷隆盛の「日本橋屋敷跡」

明治政府発足後、政府に請われて
鹿児島から上京した隆盛が住んでいたのは日本橋でした。

 

日本橋小学校前に
隆盛の屋敷があったことを示す看板が建っています。

屋敷の近くにあった千疋屋総本店で
西瓜を注文したこともあるそうです。

 

日本橋に住んでいたのは2年ほどだったそうですが
地元の人と気さくに話す人柄が好かれていたようです。

まとめ

明治維新150年の年に放送される「西郷どん」

 

隆盛のゆかりの地に、聖地巡礼に訪れるファンは
かなり増えていくのではないでしょうか?

 

エピソードが豊富な隆盛ですから
調べるといろいろなことが分かってきそうです。

 

どんな場所のエピソードがドラマに盛り込まれるのか
放送が楽しみですね。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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