徳川家康と武田信玄ゆかりの【満光寺】どんな伝説があるんだろうか?



 
三河の奥の方にある、曹洞宗のお寺、それが満光寺です。

この寺には、かつて武田軍との戦争に敗れ
逃走中の徳川家康が宿泊したという逸話があります。

そんな伝説が残っている満光寺の歴史と見どころについて
これから紹介させていただきます。
 

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徳川家康が泊まった寺「満光寺」

この満光寺は、9世紀頃に作られた寺で
その頃は天台宗という、別の宗派の寺でした。

 

それから後、室町時代後期に戦災により廃墟となり
その後しばらく放置されていましたが、この寺が廃墟となってから数十年後
駿河の名門今川家の力で、曹洞宗の寺として蘇ります。
(正確に言うと今川家の家臣である鈴木氏の力で)

 

そんな満光寺が有名になったのは、戦国時代
武田軍との戦いに敗れた徳川家康がこの寺に立ち寄ってからです。

浜松に帰る徳川家康がここに泊めてほしいと一夜の宿を求め
寺の住職もそれに快く応じました。

 

こうして徳川家康は疲れた体をゆっくり休めようとしたのですが
それからしばらくして、なぜか寺の鶏が騒ぎだしました。

 

これに嫌な予感がした家康は、まだ夜が明けていないうちに寺を脱出
結果として、その後すぐに寺にやって来た武田軍の追っ手を振りきることに成功します。

 

これを恩に感じた徳川家康は、この寺の鶏に扶持(給料)を与え保護
ついでに(家光の代ですが)満光寺そのものも保護します。

 

こうして、満光寺は徳川家の庇護の下、戦国・江戸時代を生き延びたのです。

徳川家康伝説は創作!?

と、満光寺には徳川家と鶏の縁を物語る伝説がありますが
実はこれ、史実ではありません。


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なぜなら「徳川家康が武田軍に追撃された戦い」
つまり三方が原の戦いの現場はこの寺の南にあり
家康の本拠である浜松城はそのまた南にあるからです。

 

普通に考えると、三方が原から浜松城に向かうのにこの城は通らないはずなので
おそらくこの話は後世の創作だと思われます。

 

ただ、徳川家光が寺に領地を与えたのは確かなようなので
徳川家と寺に縁があったことは確かなようです。
(もっとも、家康が武田軍に追われた戦いが三方が原の戦いとは限らないので
もしかしたら家康との話は本当にあったのかもしれません)

 

そんな満光寺の見どころは、満光寺庭園と呼ばれる庭園です。

 

この庭園は江戸時代中期に作られたもので
北庭と東庭の二つから成り立っています。

 

季節によって、ミズバショウやスイレンなど、色々な花が咲くので
庭園にある石や木だけでなく、これらの花も同時に見るとよいでしょう。

 

 満光寺について

 

他にも、この寺には十一面観世音菩薩という仏像があるので
(この仏像は寺の本尊にもなっています)
満光寺に行くなら、菩薩像と庭園だけでも見ておくことをおすすめします。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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