おんな城主 直虎【赤備えの山県昌景】井伊谷城を攻める!


 
おんな城主 直虎のクライマックスシーンの一つ
それが1572年から1573初頭にかけての、武田信玄の上洛作戦です。

この武田信玄の上洛作戦で、井伊家は存亡の瀬戸際に立たされました。

なぜならこの作戦で、井伊家は居城である
井伊谷城を失っているからです。
 

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赤備え、山県昌景が井伊谷城に侵攻

武田信玄の本隊が西に向かうと同時に、武田軍の別働隊として
山県昌景が、井伊谷城に攻め込んで来ました。

 

この時井伊家は、なんとかして城を守ろうとしますが
今回は、相手が悪すぎました。

 

山県昌景と言えば、優秀な家臣が多い武田家の中でも
別格の存在です。

山県昌景

武田二十四将、武田四天王に数えられるこの武将は
武田信玄とともに各地を転戦し、数多くの武勇を挙げました。

 

最後には、長篠の戦いで奮戦して戦死しましたが
この時、織田・徳川連合軍が作った戦果リストに
その名が真っ先に挙げられるほどの大物だったのが、山県昌景です。

 

そんな山県昌景が攻め込んできたのですから
井伊直虎も、運が悪かったとしかいいようがありません。

 

援軍が来る予定もない、井伊谷城はただの小城
相手が強すぎると、悪条件が3つも重なったこともあり
井伊谷城は、あっさり落城しました。

 

その後、井伊家の人々は浜松城に逃れ
井伊谷城は、武田軍の占領下に置かれる事になります。


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もっとも、その後(武田信玄の死により)
武田軍が速やかに徹退したので、大事には至らなかったのですが
この事件が、井伊家の人々の肝を冷やした事は間違いありません。

 

その意味で、この戦は
山県昌景の強さを知らしめた戦の一つであると言えます。

山県と井伊、赤備えの縁

ちなみに、井伊家の人々と山県昌景の縁は、これだけではありません。

 

この両者には、同じ赤備えを指揮した家であるという特徴があります。

 

赤備えとは、鎧や兜などを赤く染めた、赤一色の軍団のことです。

 

つまり、ただ色が派手なだけの軍団ではありません。

 

戦場で目立つということは、敵に狙われやすい危険な行為です。

 

それでも、あえて軍装を赤く染めるということは
よほど腕に自信がある軍団である、ということになります。

 

実際、山県昌景の率いる武田の赤備えは
各地でその武名を轟かせ、相手の軍を震え上がらせました。

 

赤備えの突撃は止められない、そう敵の兵士たちが思っていたほどです。

 

そんな赤備えの武名を継承したのが、井伊直政なのです。

 

この井伊の赤備えも、小牧・長久手の戦いや関が原合戦などで活躍した
特別な精鋭部隊として知られています。

 

つまり、この井伊谷城の戦い
現在の赤備えが、未来の赤備えと邂逅(かいこう)した
赤備えの戦いと言う事も出来るでしょう。

 

そんな井伊谷城の戦いがどう描かれるのか
おんな城主 直虎が、今から楽しみです。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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