おんな城主 直虎ゆかりの【左馬武神社】新野親矩とは何者なんだ?



 
あまり知られていませんが、静岡県には
左馬武神社という神社があります。

この神社は、新野左馬助(新野親矩)という人物を祀った神社で
当人の墓も神社内にあります。

と言っても「新野左馬助って誰?」
と思われる方がほとんどでしょう。

実はこの新野左馬助、ある歴史上の人物の命の恩人なのです。
 

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新野左馬助(新野親矩)は井伊家の恩人

新野左馬助(新野親矩)は今川家の一族の一人で
遠江に領地をもつ、地方豪族の一人です。

 

彼は1564年、引馬城(後の浜松城)の攻防戦で戦死し
その後、新野家は歴史から姿を消しました。

 

そんな彼の神社がなぜ建ったのか?

 

それは彼が存命中、ある一族に大きな貸しを作ったからです。

その一族とは、彦根藩藩主の家柄である井伊家です。

 

この井伊家と新野左馬助とのつながりは
戦国時代にまでさかのぼります。

 

桶狭間の戦い後、井伊家の当主である井伊直盛が
今川家に謀反人として誅殺されたのち(妹が井伊家に嫁いだ縁があるので)
この新野左馬助が妻とともに、井伊直盛の息子である
万千代(後の井伊直政)をかくまいながら育てたのです。

 

謀反人の息子をかくまって育てるということは

「お前も私に含むところがあるのか」

と主君に疑われかねないリスクある行為ですが
彼はそのリスクを無視して、万千代を育てました。

 

その後、万千代は鳳来寺という寺に移されますが
井伊直政や直虎をはじめとする井伊家の人は
この時、新野左馬助に助けられたことを忘れませんでした。

 

その結果、左馬武神社が作られたのです。

新野左馬助(新野親矩)の墓

この左馬武神社が、直接井伊家の力で作られたのかは不明ですが
新野家と井伊家の繋がりを示すものが、神社の中にあります。


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それは、井伊家の恩人である新野左馬助の墓です。

 

この墓は江戸時代後期のもので、井伊家の藩主である井伊直中が
恩人の家である新野家を再興した際に、先祖供養の一貫として作られたものです。

 

この新野家再興は、あくまで井伊家が
新野家の名跡(名前)を再興させただけで
新野左馬助の子孫が家を再興したというわけではありません。

 

それでも、井伊家が新野家のことを忘れなかった証拠だと言えます。

 

直中の後も、井伊家と新野家の縁は途切れず
井伊家の関係者が墓を手入れしてきました。

 

(特に大老井伊直弼は、家臣に墓参りをさせただけでは足りず
自分で新野左馬助の霊を祀ろうとしたと言われています)

 

井伊家と新野家の絆を示す、この新野左馬助の墓こそが
左馬武神社最大の見所と言えるでしょう。

 

神社そのものはわりと質素なので、他に見所と言えるほどのものはありませんが
(しいて言うなら新野左馬助が戦死したことを示す石碑が近くにあるくらいです)
それでも、この墓と神社に見る価値があることは間違いありません。

 

 左馬武神社について

 

井伊家ファンなら、井伊家の恩人の墓がある左馬武神社に
一度はお参りしてみるといいでしょう。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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