松平信康の切腹の地【二俣城】築山御前と信康が武田家と内通!?


 
二俣城は、戦国の歴史のターニングポイントとなった
二つの出来事が起こった場所として有名です。

そのうちの一つは、三方ヶ原の戦いの前哨戦である二俣城の戦い
そしてもう一つは、1579年に起こった家康の長男信康切腹事件です。

その二つの事件の舞台となった二俣城の歴史と見どころを
これから紹介させて頂きます。
 

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1572年に行われた二俣城の戦い

遠江(現在の浜松)にある二俣城は、16世紀前半に作られた山城です。

 

初めは小さな館のような城でしたが
その後場所を変え、改修を繰り返した結果
戦国でも屈指の山城に成長しました。

 

この城は、信濃側から遠州に入る時に通り道になる城
つまり交通の要衝にある城なので
この城を巡っていくつもの戦が起こりました。

その中でもっとも有名なのが、1572年に行われた二俣城の戦いです。

 

この戦いは、京都へ向けて進軍する武田信玄の軍が
徳川家康の軍が立てこもる二俣城を攻撃した戦いですが
この時、徳川家康の軍はまだ浜松におり
織田の援軍も来ていませんでした。

 

しかし、援軍が来ることを信じていた城兵の士気は高く
武田軍の攻撃を何度も阻み続けました。

 

最終的に武田軍は水の手を断つことで城兵を弱らせ
城内の士気が下がったところで開城に持ち込みましたが
武田の猛攻に2か月耐えた二俣城は、その堅城ぶりを天下に知らしめたのです。

 

その後二俣城では、武田軍と徳川軍との数回にわたる局地的な攻防戦や
武田家との内通を疑われて幽閉された、家康の嫡子
信康が腹を切らされる事件などがあり
徳川家にとって因縁深い城となりましたが
最終的には、関ヶ原の戦い後に廃城となり現在に至っています。

二俣城の見どころ

そんな二俣城の見どころは
かつて城のあった場所に立っている天守台です。


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一度この城は廃城となった城なので、城や櫓など
当時の建物は残っていませんが、天守台、曲輪、空堀、石垣など
かつて城があった名残はまだ残っています。

 

その中でももっとも目立つ場所にある天守台は
立派な石垣の上にある台地です。

 

何百年も前のものとは思えないほど、非常に奇麗な形で残っているので
この上にそびえ立っていたであろう、立派な城をイメージすることが容易に出来ます。

 

二俣城を見るなら、まずここを見るべきでしょう。

 

その次に見るべきところは、城の遺構である土塁や堀のあとです。

 

さすがに、天守台ほどはっきりした形で残っているわけではありませんが
「ここに堀があった」という目で見ると、分かるくらいには跡が残っているので
それらの物を全て見ると、二俣城という城がどういう形をした城だったかがよく分かります。

 

これらの遺構が城のあちこちに点在しているので
全て回るのは少し骨が折れますが
それでも、二俣城に来たならせめて半分くらいは見ておくべきでしょう。

 

 二俣城の地図

 

他にも、二俣城の近くには、鳥羽山城など他の城の遺構がありますので
これらの遺構も、ついでに見ておいたほうがいいかもしれません。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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