真田丸ゆかりの地【沼田城】昌幸・信繁を感心させた小松姫の言動



 
1532年、沼田顕泰が築城した
沼田城は、標高400メートルの
河岸段丘の上にそびえたつ丘城です。

沼田城は北関東方面の要所として
上杉家、武田家、北条家が
激しく争奪戦を繰り広げました。

本能寺の変後は
真田昌幸がこの城を支配し
後に嫡男・信幸が
城主となります。
 

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沼田城の歴史

沼田氏の拠点であった沼田城は
山内上杉家と北条家の
どちらに汲みするかで
沼田家内で内紛が起り
北条家が勝ち取ります。

 

その後、上杉謙信が
城を奪い取りますが
謙信没後の御館の乱にて
北条氏がこれを制圧します。

 

この沼田城もそうですが
北関東方面の城は至るところで
上杉や北条、武田あたりが
城取り合戦を繰り広げますね。

 

それだけ各勢力とも
このあたりの地域を
支配したかったのでしょう。

 

北条家に渡った沼田城ですが
1580年、真田昌幸が
本領発揮と言わんばかりの
調略を仕掛け
無血開城に成功します。

 

これで武田の支配下になりました。

 

武田家滅亡後、いったん城は
織田家に渡りますが、本能寺の変を経て
真田家が城を手に入れます。

 

以降、長らく真田家が所有し
後年には、五層天守や
三層櫓を建てるなど
城の強化を図りました。

城を守った小松姫

ここからは関ヶ原の戦い
直前の話です。

 

徳川につくか、石田につくか…

 

真田昌幸、信幸、信繁は
犬伏の地で家族会議を開きました。

 

結果、昌幸と信繁は石田派へ
信幸は徳川派へと分かれます。

 

信幸は上杉討伐の
徳川軍と合流するため
宇都宮へ向かい
昌幸と信繁は、居城
上田城へ向かいます。


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犬伏から上田城までの途中には
信幸の居城・沼田城がありました。

 

孫の顔が見たいと
昌幸は沼田城に立ち寄ります。

 

しかし信幸の妻・小松
武器を手に門の上からこう言います。

 

「私は女なれど、本多の娘。
たとえ義父上であろうと
いまは敵である。城には通せません。」

 

かくして、昌幸と信繁は
城に入れず追い払われます。

 

しかしその後、小松姫は
城から離れたお寺に宿を取り
昌幸達に提供、そして
自らの子供を連れて
昌幸のもとを訪れます。

 

かっこいいですね小松姫。

 

城では城代として
敵の入城を拒み守り抜き
しかし、その後は
孫に会いたい舅の願いを
こっそりと叶えてあげます。

 

昌幸と信繁の部屋には
武装した女たちが取り囲み
警護の手は緩めませんでしたが
この様子に昌幸と信繁は

 

「自分たちが滅びても真田の血は安泰」

 

と、たいそう感心したそうです。

現在の沼田城

1681年、五代目信利が
沼田を治めていたころ
江戸幕府は信利から
領地を没収します。

 

翌年、幕府の命により
沼田城は完全に破却されました。

 

現在、城郭跡は
沼田公園となっています。

 

沼田城跡の地図

 

沼田公園には、本丸と捨曲輪
二の丸や三の丸の一部が残っており
本丸跡には堀や石垣、櫓の跡などが
わずかに残っているようです。

 

天守閣再建の声
一部上がっているようですが
現状その目処は立っていないようです。

 

歴史好きとしては
再建していただけると
嬉しいんですけどね。

 

本丸跡には鐘楼が建設されました。

 

これは、領内の安泰を祈願して
真田河内守が造ったという城鐘を
保護する目的で造られたようです。

 

沼田城から南方面へしばらく進むと
というお寺があり
そこに小松姫のお墓があります。

 

正覚寺の地図

 

沼田城を訪れる際は
ぜひこの正覚寺にも寄りたいですね。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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