真田丸ゆかりの人物【明智光秀】本能寺の変で歴史の主役に


明智光秀と言う人物は
誰もが知っている
有名な歴史上の人物です。

何をした人かと言えば
織田信長に謀反した人だと
誰もが答えます。

織田信長に謀反する前
彼は何をしていたのでしょうか?

これはあまり知られていません。

明智光秀と言う人物について
簡単に説明させて頂きます。
 

スポンサーリンク


明智光秀という武将

明智光秀という人物は
斉藤家や朝倉家に仕えていましたが

本能寺の変の十数年前に
織田家に仕官しました。

 

仕え始めた頃は
織田家だけでなく
足利家にも仕えていたので

純粋な織田家の家臣になったのは
足利義昭が織田信長に
京を追い出されてからの話になります。

 

それまでは、歴史上
その他大勢に過ぎませんでしたが

信長に仕えてからは
頭角を現し
出世していきます。

 

やがて近江坂本城の城主になり
丹波亀山を任され
織田軍団の
一角を担うようになります。

 

ちなみに、織田家が拡大してから
家臣になった外様の家臣で
ここまで力を持った家臣は
荒木村重しかいません。

 

余談ですが、彼も
信長に謀反を起こしています。

 

それだけの特別待遇を
与えられたにもかかわらず
光秀は突如本能寺の変を起こし
織田信長に謀反しますが

その後の立ち回りに失敗し
羽柴秀吉に山崎の戦いで破れ
最後は名もなき土民に襲撃され
その生涯を終えます。

 

そんな光秀ですが
彼はなぜ
謀反を起こしたのでしょうか?

 

そもそも信長と光秀は
一体どんな関係だったのでしょうか?

信長と光秀

信長と光秀の関係と言うのは
ひと言では言い表せません。

 

ただ、いくつか
言えることがあります。

 

信長は光秀を非常に高く
評価していたこと

信長は光秀に
いい待遇を与えたこと

信長は光秀に
きつく当たることが多かったこと

 

この3つです。

 

信長が光秀を高く評価して
織田軍にとって欠かせない存在だと
評価していた事は事実です。

 

後世に残る信長の書状を見ても
光秀が称えられていたことは
1度や2度ではありませんでした。


スポンサーリンク


しかし信長は、光秀のことが
好きではなかったのかもしれません。

 

普通の人間は
たとえ好きではなくても
使える人間には
優しく接するものですが

信長はそうではなかったようで
どれだけ使える人間であっても
嫌いなものは嫌いと
当り散らすことがあったようです。

 

これでは光秀も
たまったものではありません。

 

それが本能寺の変を起こす
原因だったのでしょうか?

本能寺に桔梗の紋

光秀が本能寺を起こした理由
一般的には
怨恨説と天下への野望説
他勢力の陰謀説があります。

 

どれが正しいのでしょうか?

 

正確に言えばどれもが正しいし
またどれもが間違っています。

 

何故なら歴史上の人物が
大きな出来事を起こすとき
動機が一つだけということは
ありえないからです。

 

大抵の場合、複数の動機が絡まって
事が起こります。

 

例えば光秀は、信長のことを
好きではなかったでしょう。

 

もし光秀が信長に
好意を持っていれば
それがブレーキになって

本能寺は
起こらなかったかもしれません。

 

しかし光秀が信長のことを
嫌いであったとしても
恨みつらみだけで
起こるものではありません。

 

同様に誰かが光秀に
謀反を起こすように
そそのかしたとしても
それだけで即謀反とはなりません。

 

後押しにはなったとしても
光秀も優れた武将なので
そう簡単に操られたりはしません。

 

天下を取りたいと言う野心があっても
それだけで謀反を起こすには行動力
エネルギーが足りません。

 

つまり、光秀が
謀反を起こした理由は

 

・個人的に信長に恨みがあった
・隙があれば天下を取りたかった
・他勢力の陰謀があったから

 

とも言えます。

 

全ての理由が重なり合って
謀反を起こしたという事になります。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

この記事が気に入りましたら、いいねをお願いいたします。

Feedlyのフォローもお願いいたします。

follow us in feedly


コメントを残す