真田丸ゆかりの戦い【山崎の戦い】これぞ天下分け目の天王山!



 
天王山という言葉
スポーツなどの勝敗を決する
大切な試合や場面の時に
「天下分けめの天王山」
などと使いますよね。

これは歴史好きの方なら
みなさん、よくご存知の通り
羽柴秀吉と明智光秀が戦った
山崎の戦いにて
天王山という山を制した方が
有利とされたことが由来です。

さて、山を制したのは…
 

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本能寺の変と光秀

山崎の戦い
きっかけの大元といえば
本能寺の変。

 

♪本能寺の変 ♪本能寺の変

 

このリズム、なんか
頭に残りますよね…

 

踊る授業シリーズ「本能寺の変」

 

私、お笑いとは関係のない
とあるイベントを見に行った時
たまたまゲストで
エグスプロージョンさんが出演
生で、本能寺の変を見ました。

 

という、余談から入りましたが
本能寺の変は、言わずと知れた
世紀の大事件ですので
詳しく述べる必要もないですかね?

 

でも、一応
織田信長を、家臣・明智光秀が
謀反によって滅ぼした
日本史史上最大ともいえる事件です。

 

信長を討った光秀は
近江を制定するため安土城に入り
次なる戦いに備えて
加勢する者たちを集います。

 

しかし、頼みの綱としていた
細川家や筒井家にもそっぽを向かれ
十分な戦力が整わないまま
いたずらに時間は流れます。

中国大返し

秀吉が、信長の死を知ったのは
毛利攻めの最中でした。

 

備中高松城を
水攻めにしていた羽柴軍ですが
高松城はしぶとく、戦況は膠着状態
そんな折に
本能寺の変が起こりました。


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秀吉は
光秀討伐に急ぎ向かうべく
毛利家に講和を持ちかけ
これを結びます。

 

ただちに高松城を撤退した秀吉は
姫路城までの
およそ70キロの距離を
1日半で駆け抜けます。

 

その後も、京へ向かって
常識はずれのスピードで行軍し
ただちに城を出発してから
わずか6日後には
京近くの山崎に到着しています。

 

これぞ、秀吉を天下人へ導いた
中国大返しです。

 

そして到着の翌日、山崎で
二人は激突します。

山崎の戦い

山崎は、淀川を挟んで
天王山と男山がそびえる土地です。

 

山崎古戦場跡の地図

 

光秀は当初
天王山と男山を押さえて
秀吉軍を挟み撃ちにする
作戦をたてていました。

 

しかし、中国大返しで
行動の素早さは証明済の秀吉軍
光秀よりも先に
天王山を占拠します。

 

秀吉軍の士気は上がり
一方、光秀軍には、羽柴の軍旗が
絶望の旗に見えたかもしれません。

 

先に仕掛けたのは光秀軍
これを待っていたかのように
秀吉は全軍に
総攻撃の合図を出します。

 

秀吉軍3万5千
光秀軍1万5千という
兵力の差もさることながら
士気の差も歴然。

 

光秀軍には脱走兵も多く出て
間も無く総崩れ状態となり
惨敗を喫します。

 

退却した光秀は
居城の坂本城へ向かう途中
落武者狩りにあい絶命。

 

秀吉は天下人へと向かいます。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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