太原雪斎が住職を務めた【清見寺】は徳川家康も通って学んでいた!


 
静岡市清水区にある歴史ある寺院、それが清見寺です。

この寺は、今川家の軍師である太原雪斎が住職を務めた寺として
そしてその下で、徳川家康が色々なことを学んだ寺として知られています。

その清見寺の歴史を、これから紹介させていただきます。
 

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徳川家康が通って学んだ清見寺

清見寺は、奈良時代に創建された寺だと言われていますが
実際のところ寺がいつ作られたのかは、はっきりしません。

 

ですが鎌倉時代の中頃に、関聖上人が再興したと記録に残っているので
少なくとも、700年以上の歴史がある寺であることは確かです。

 

そんな清見寺の特徴は、時の権力者と縁が深い寺である点です。

 

室町幕府の初代将軍である足利尊氏は、清見寺に利生塔という塔を建立しましたし
駿河守護である今川家も、歴代当主が清見寺を保護して来ました。

特に、今川義元の師である太原雪斎が住職を務めるようになってからは
清見寺は、今川家の中でも重要な寺として扱われるようになりました。

 

その後、武田家と徳川家の侵攻を受けて、清見寺の後ろ盾である今川家は滅びますが
太原雪斎時代に、寺と徳川家康との間に縁が出来ていたことがよい方向に働き
清見寺そのものは、徳川家の後援によって江戸時代に大きく栄えました。

(若きころの徳川家康は、この寺にたびたび通って勉強していました)

 

それから後、明治維新後の改革で(徳川幕府からもらったものを失うなどして)
清見寺は昔日の勢いを失いましたが、それでも
清見寺は荒廃することなく現在まで残っています。

徳川家康が清見寺に与えた書状

清見寺は、徳川家康をはじめ時の権力者に近い寺だったので
その権力者たちゆかりの品が多く貯蔵されています。


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主なものだけでも

・足利尊氏が書いた地蔵菩薩像
・豊臣秀吉が与えた朱印状
・徳川家の家紋つきの茶碗

などがあります。

 

その中でも特に重要なのが、徳川家康が寺に与えた書状です。

 

この中で家康は、軍勢が清見寺に押し入って
物を奪うなどの乱暴狼藉を禁止すると命じています。

 

つまり、この寺に押し入った軍勢は
徳川家康の命令に背くということになるので、この命令により
どこの軍勢も清見寺で乱暴狼藉が出来なくなりました。

 

この書状が出されたのは、1582年3月なので、まだ家康は東海地方の大大名に過ぎませんが
それでも大名である家康が、わざわざこの書状を出したところに
清見寺と家康の距離の近さが現れていると言えます。

(時系列的に言えば、武田家が滅びる直前です)

 

他にも、寺には仏像など色々なお宝がありますので
チャンスがあれば見てみるとよいでしょう。

 

これらのお宝の他にも、清見寺には鐘楼や仏殿
国の名勝に指定されている庭園などがあります。

 

 清見寺について

 

特に庭園の美しさは有名なので、寺に来たなら最低でも
この庭園だけは見ておくとよいでしょう。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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