大河ドラマ 西郷どん【清閑寺・郭公亭】都落ちの計画を立てた茶室



 
京都市東山区にある清閑寺は、境内にある「要石」から見える
扇状の京都の街の風景で有名です。

今は閑静な佇まいの清閑寺ですが、幕末には
当時の政治に大きな影響を与える謀議がここで行われていました。

西郷隆盛にとっても
奄美大島へ流される要因となった場所でもあります。

ここでは、当時の歴史的背景と、清閑寺
その周辺のおすすめスポットなどを調べてみました。
 

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島津斉彬を失った西郷隆盛と月照

清閑寺は延暦21年(802年)に創建
平家物語の悲恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりの寺院です。

 

幕末に清閑寺で行われた謀議の内容は
将軍の後継者問題でした。

当時、大老・井伊直弼は
紀州の徳川慶福を推していました。

 

対抗する老中・阿部正弘、水戸藩主・徳川斉昭、薩摩の島津斉彬は
水戸の一橋慶喜、公武合体を主張する一派です。

 

隆盛は斉彬の命を受けて、清水寺成就院の僧で勤王家の月照とともに
朝廷へ働きかけるも失敗に終わってしまいます。

 

14代将軍は井伊直弼が推した徳川慶福(家茂)に決定
井伊直弼はすぐに一橋派の弾圧を始めるのです。

 

これが安政の大獄です。

 

この時すでに斉彬は亡くなっており
弾圧は隆盛と月照まで及んできました。

 

二人はこれまで幾度となく密談をしていた清閑寺で
幕府の追っ手から逃れ、京都から脱出する計画をしたと云われています。

 

薩摩に戻った隆盛と月照でしたが
斉彬という後ろ盾を失ったことで行き場を失います。

薩摩藩は月照の受け入れを拒否、二人は安政5年(1858年)11月15日
錦江湾で入水自殺を図ってしまいました。

 

月照は亡くなりましたが、隆盛は奇跡的に蘇生
藩は隆盛を奄美大島へ潜伏させることにしたのです。


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西郷隆盛と月照が都落ちの計画をした茶室「郭公亭」

清閑寺は、清水寺から近い清水音羽山に中腹にあります。

 

境内にあった隆盛と月照が都落ちの計画をしたとされる茶室
「郭公亭」(かっこうてい)、今はその姿を見ることは出来ません。

昭和初期には改修も行われましたが、腐食による老朽化が進み
平成3年(1991年)7月に取り壊されました。

 

現在、鐘楼前には
「大西郷月照王政復古謀議舊趾」と彫られた石碑が建っています。

 

 清閑寺について

 

また、清閑寺から徒歩30分圏内で清水寺へ行く事ができます。

 

月照は15歳で清水寺に入り
22歳で清水寺成就院の住職となります。

成就院の「月の庭」は
春、秋の年に二度特別公開されています。

かつて成就院の正門だった北総門を過ぎると
3つの石碑が建っています。

 

これは、月照と月照の実弟・信海の歌碑
そして隆盛の弔詞碑です。

信海は兄の月照が亡くなったあと、尊皇攘夷祈祷の嫌疑で逮捕され
江戸に護送後に獄死してしまいます。

 

隆盛は、のちに二人に対し、弔意の漢詩を詠み
その読み下し文が、石碑に刻まれているのです。

 

歴史ファンであれば
清閑寺と併せて訪れておきたい名所の一つです。

 

 清水寺成就院について

 

大河ドラマ「西郷どん」で月照を演じるのは
現代の歌舞伎を担う若手スターの一人、尾上菊之助です。

 

可憐でみずみずしく、清潔な色気で女方と二枚目を魅力的に演じる尾上菊之助さんが
どんな月照を演じるのか、とても楽しみです。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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