大河ドラマ 西郷どん【日本橋屋敷跡】贔屓は千疋屋総本店のスイカ



 
2018年の大河ドラマ「西郷どん」の主役・西郷隆盛。

東京では銅像がある上野のイメージがありますが
明治政府発足後に住んでいたのは日本橋も
隆盛のゆかりの地として有名です。

当時の歴史背景や、現在の屋敷跡
日本橋界隈の人たちとのエピソードなどを調べてみました。
 

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西郷隆盛が住んでいた日本橋

明治維新の立役者の一人だった隆盛ですが、明治政府発足直後は
鹿児島に戻り、のんびりと暮らしていました。

その頃、全国各地で重税に苦しむ民衆が一揆を起こすようになり
新政府は対処しきれず、隆盛に再三復帰を請います。

 

弟従道の説得もあり明治4年(1871年)に
隆盛は鹿児島から上京、参議に就任しました。

 

隆盛が住まいを構えたは日本橋の人形町
江戸時代には、姫路藩酒井家の下屋敷があった場所です。

約2600坪もある広い屋敷には、15人ほどの書生、7人の下男
そして20匹ほどの猟犬とともに暮らしていたそうです。

 

当時の政府高官や参議は本郷、駒込、麻布などにあった
旧大名屋敷跡を住居として使っていました。

 

隆盛が住んでいた日本橋は、町人、庶民の町
広い屋敷でも、贅沢することなく質素な暮らしをしていたそうです。

 

しかし、明治6年(1873年)
隆盛は東京を去ることになります。

 

朝鮮王朝との国交問題、いわゆる征韓論です。

政府側と意見が対立

 

自身が朝鮮半島に出向いての交渉を希望していた隆盛の主張は退けられ
鹿児島に戻ることになったのです。

 

隆盛は結局2年間で下野することになり
日本橋の屋敷を引き払って鹿児島に帰郷したのです。

西郷隆盛と千疋屋総本店のスイカ

隆盛が住んでいた日本橋の屋敷跡は
現在、日本橋小学校・幼稚園となっています。


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入口には「西郷隆盛宅跡」の説明看板が建っており
隆盛が明治の初めにここに住み、その後
鹿児島で起こった西南戦争で亡くなったことが記されています。

当時、隆盛が贔屓にしていた店が
フルーツで有名な千疋屋総本店です。

 

隆盛は店を訪れると、二代目主人の妻・むらさんに

「おっかあ、でっかなスイカ持ってこいよ」

と親しく声をかけていたそうです。

 

 千疋屋総本店 公式サイト

 

スイカはアフリカ原産、日本には
琉球から薩摩に伝えられたのが始まりとも言われています。

 

隆盛にとっては、懐かしいふるさとの味だったのかもしれません…

 

下野が決まったとき、隆盛はむらさんに

「おっかあに屋敷をあげようか」

と、冗談ともつかぬ話をしたというエピソードがあります。

 

テレビ番組などでも紹介されており
千疋屋に今も尚、語り継がれているようです。

 

気さくで私利私欲のない隆盛は下町に溶け込み
地域の人にも愛されていたのではないかと想像出来ます。

 

隆盛のゆかりの地は建物がほとんど残っておらず
説明看板や石碑が歴史を伝えてくれます。

 

「西郷どん」の放送開始も迫り
日本橋の「西郷隆盛宅跡」を訪れる人も増えるのではないでしょうか。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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