西郷どん【沖永良部島 西郷隆盛上陸の地】ここで生まれた敬天愛人



 
奄美群島の南西部に位置する沖永良部島は
西郷隆盛が島流しとなり1年6ケ月を過ごした地です。

ここには隆盛が上陸したという歴史的スポット
史跡などが残っています。

隆盛が島流しとなった歴史的背景
観光スポットについて調べてみました。
 

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徳之島へ島流し…2ヶ月で沖永良部島へ移動

隆盛が奄美大島で生活していた頃、江戸では
大老井伊直弼が、桜田門外の変で殺害されるという事件が起きていました。

 

その後、幕府は公武合体運動に力を注ぎ
長州藩は薩摩藩に先立って、京都に乗り出していたのです。

薩摩藩は、隆盛が寵愛を受けていた斉彬が逝去し
異母弟の久光の子・忠義が藩主となっていました。

 

その裏で、久光は藩主の父として実権を握り
国政に乗り出そうと上京を計画、実現のため
奄美大島から隆盛を呼び戻しました。

 

しかし、久光の上京に反対していた隆盛に対して
久光は不信感を抱いていました。

 

さらに、薩摩藩士の暴動で起こった寺田屋事件を
隆盛が扇動したとして流罪を言い渡すのです。

 

罪人となった隆盛は徳之島へ島流しになるのですが
2ヶ月で沖永良部島へ移動、牢屋に閉じ込められ監視下の置かれました。

過酷な環境に置かれた隆盛は健康を害してしまい
やせ細ってしまいます。

 

時が経つにつれ、持ち前の人望から協力者も現れるようになり
処遇は改善されます。

 

隆盛は奄美大島の時のように島の人々に勉強を教えたり
一緒に酒を酌み交わすようになりました。

 

そして、1年半に及ぶ沖永良部島での生活で隆盛は
島に多くの余徳を残したのです。

南洲神社も人気スポット

沖永良部島の伊延港近くには
隆盛が上陸した場所として石碑が建っており
島の観光名所になっています。


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記念碑には、隆盛の謙虚さに、罪人ではありましたが
島民はとても感激したということが書かれています。

 

隆盛に感謝した島民たちが明治35年(1903年)に建立した
南洲神社も人気スポットです。

祭神はもちろん隆盛で
牢獄生活を送った場所に建てられています。

 

社殿の隣には小さめの銅像が立っています。

 

隆盛が沖永良部島での文筆活動で使った名が
西郷南洲です。

 

南洲とは「南の島」という意味で
沖永良部島のことを差しているのではという説があります。

 

また、南洲神社の橋の反対側に
西郷南洲記念館があります。

 

記念館の前には当時の牢獄を再現した牢があり
中に痩せこけた隆盛の像が置かれています。

2018年の大河ドラマが「西郷どん」と発表されてから
記念館の来場者は急増しているそうです。

 

ドラマの放送前から関心が高まっているようです。

 

沖永良部島で過ごした時間は
隆盛の生涯の中で短くはありましたが
牢獄生活の中で学問に励み、精神を練磨し
「敬天愛人」という大思想を完成させました。

 

※その他、沖永良部島の観光については下記のリンクから

 おきのえらぶ島観光協会 公式サイト

 

隆盛という人を形成する上で重要な時期を
主演の鈴木亮平さんはどう演じるのでしょうか?

 

現在、鈴木亮平さんは、かなり隆盛感のある立派な体格になっていますが
この時期の隆盛を演じるために減量されるのでしょうか?

 

そんなことも期待しながらドラマの放送を待ちたいですね。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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