大河ドラマ 西郷どん【池上本門寺・松濤園】江戸城無血開城の地



 
慶応4年(1868年)3月、討幕軍の主席参謀・西郷隆盛と
幕府側の陸軍総裁・勝海舟が江戸城無血開城の交渉を行いました。

場所は、討幕軍の本陣が置かれた池上本門寺内の奥庭
松濤園の四阿(あずまや)です。

ここでは当時の歴史背景と
池上本門寺内の観光スポットなどを調べてみました。
 

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西郷隆盛と勝海舟は江戸城無血開城

池上本門寺は日蓮宗の大本山で
東京都大田区の池上にあります。

 

宗祖日蓮が没して荼毘に付された地として
霊跡寺院となっています。

鳥羽・伏見の戦いで勝利した討幕軍は、江戸を目指して進軍
主席参謀の隆盛は池上本門寺に本陣を置きました。

 

3月13日、14日、江戸にある薩摩藩邸で隆盛と勝海舟は
江戸城無血開城ついて会談し、その結果
総攻撃が中止された史実は誰もが知っているところです。

 

その歴史的な会見の前、3月12日に
勝海舟はここ池上本門寺の隆盛を訪問し、面会を申し込みます。

話し合いが行われたのが
奥庭の松濤園の四阿(あずまや)です。

 

歴史的には、薩摩藩邸での会見で全てが決まったとされていますが
その前後に、池上本門寺での話し合いが数回あったそうです。

 

確かに2日間で決定するような問題ではないですよね。

 

この隆盛の決断は、長州藩などにかなり激怒されましたが
会見後に両方の様々な人たちにより、徳川家の存続
江戸城明け渡しについてなどが話し合われていきました。

 

江戸が戦火を免れ、明治維新によって近代化に進むことが出来たのは
松濤園での会談がきっかけと言えるでしょう。


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いったい誰が勝海舟役!?

池上本門寺は第二次世界大戦の空襲で焼失し
現在多くの建物が鉄筋コンクリートで再建されています。

ただ、境内には戦火から逃れた江戸時代の建物も残っています。

 

総門は、大田区指定の有形文化財で元禄期の建造です。

表参道石段坂は加藤清正が17世紀初頭に寄進したもの
奥に八角輪蔵が収まっている経蔵は1784年建立
いずれも大田区指定有形文化財です。

また、五重塔は慶長13年(1608年)建立
日蓮の荼毘所跡と伝えられている地に立つ宝塔は
文政11年(1828年)建立で、どちらも国の指定重要文化財です。

松濤園は当時のまま現存していますが
残念なことに松濤園内の四阿は戦災で焼失
今は、隆盛の弟西郷従道が揮毫(きごう)した
両雄会見碑が残っているだけです。

平成4年(1992年)には
四阿の跡地に茶室「浄庵」が建てられました。

ところで、松濤園は普段は一般に非公開はされていませんが
毎年9月に期間限定で公開されています。

 

公開期間は長くありませんが
毎年多くの観光客が訪れています。

 

建物はなくても、歴史の重みを感じることが出来る場所
年明け1月7日から放送開始の大河ドラマ「西郷どん」のゆかりの地として
さらに人気が高まるのでないでしょうか。

 

 池上本門寺 公式サイト

 

まだ、勝海舟役は発表されておらず
誰が演じるのか気になるところです。

 

この場所で、どんなシーンが描かれるのか
今から楽しみですね。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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