もし真田幸村がいなかったら…歴史はどう変わったか!?



 
2016年度大河ドラマ「真田丸」の主役である真田幸村は
誰もが知っている戦国の英雄です。

では、もし英雄である真田幸村がいなかったら
歴史はどうなっていたでしょうか?

そんな歴史のifについて、これから語らせていただきます。
 

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関ヶ原の戦いが変わった!?

真田幸村がいなかったら歴史はどうなっていたか?
実は、彼がいなくても歴史の大勢は変わりません。

 

なぜなら、真田氏は織田氏や徳川氏のような大大名ではなく
ただの信濃の弱小豪族です。

 

真田氏の息子である真田幸村がいなくても、歴史の流れが大きく変わることはないのです。

 

では真田幸村がいなくても、歴史上なんの影響もなかったか…
というと、そんなことはありません。

 

真田幸村がいなかった場合
歴史が変わったかもしれない戦いがいくつかあります。

 

その一つが関が原の戦いです。

 

関が原の戦い(正確に言えば上田城の戦い)で真田家は、徳川秀忠の3万8千の大軍を食い止め
関が原本戦への参戦を食い止めるという、大きな戦果を挙げました。

 

これが、関が原の戦いの勝敗に影響を与えなかったのは残念ですが
この歴史が狂う可能性があります。

 

真田幸村がいなければ、真田軍はあそこまで徹底して徳川軍を翻弄できず
物量の前に押し切られていたか、徳川軍が冷静になって

「こんな小城攻めてもしょうがない」

と、さっさと関が原に向かっていた可能性があります。

 

そうなったら関が原の戦いは、最初の3時間で決着がついていたでしょう。

 

結局「東軍が勝つ」という結末は変わらないにせよ
歴史上よりあっさりと、東軍が西軍を踏み潰す形で決着がついていたかもしれません。

 

つまり真田幸村がいないことで、関が原の戦いの「過程」が変わるのです。

 

このように戦いの過程が変わると思われる戦いは他にもあります。

 

それは大坂の陣です。


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大坂の陣も、あっと言う間に…

大坂の陣は真田幸村の人生において、まさにクライマックスと言える戦いでした。

 

この戦い、真田幸村がいなければ、一体どうなっていたでしょうか?

 

これも関が原の戦いと同じです。

 

豊臣方の敗北という結末は、変わらないでしょう。

 

しかし、その過程は大きく変わると考えられます。

 

大坂冬の陣で、真田幸村とその手勢は、大坂城の南手に真田丸を作って立てこもり
徳川方の侵攻を許しませんでした。

 

もし幸村がいなくても、大坂城の南がウィークポイントになっていることは
城の誰もが知っていたので、後藤又兵衛あたりが守備に回っていたでしょう。

 

しかし、真田丸の戦いほど上手く、その出丸を守れていたかは分かりません。

 

徳川方の猛攻により、出丸が陥落していた可能性もあります。

 

そうなれば、そこを足がかりに徳川方は総攻撃をかけるでしょうから
大坂の陣は冬で終わっていた可能性があります。

 

もし、歴史と同様に夏まで陣が続いていたとしても
史実で幸村が成し遂げたように、徳川家の本陣を陥落させることは
さすがに幸村抜きの大坂方には難しいでしょう。

 

結果、大坂夏の陣は、徳川家康が「余裕を持って」豊臣方に勝利し
戦国の世が終わることになったと思われます。

 

徳川方がいくらかの敗北感を持ちながら辛くも勝った史実とは、
違った大阪の陣になっていたことでしょう。

やはり真田幸村の存在は大きい

関が原の戦い、大坂夏の陣、この2つには大きな特徴があります。

 

それはどちらも、「劣戦の側が大きく奮戦した」ところです。

 

関が原では、裏切り者だらけでまともに機能しなかった西軍が
東軍と互角以上に戦い、一時は小早川秀秋が
「西軍が勝つかもしれない」と裏切りをためらうほどでした。

 

大坂夏の陣では、兵力差が3倍ある上に寄せ集めの豊臣方が
徳川家康に死を覚悟するほどの奮闘を見せました。

 

その「劣戦側の奮戦」に大きく貢献したのが、真田幸村なのです。

 

もし幸村がいなければ、関が原の戦いは徳川秀忠軍と合流した東軍が数の暴力で進軍し
これを見た小早川秀秋らが即座に裏切り、最初の3時間で西軍が総崩れになっていたかもしれません。

 

大坂夏の陣も兵力で劣る大阪方が、徳川方に各個撃破され
「豊臣方もよく頑張ったね」程度で終わっていたかもしれません。

 

それを「徳川家康の敗走」「真田日本一の兵」というところまで持っていったのは
(毛利勝永、後藤又兵衛らの奮戦もあったにせよ)真田幸村の力によるところが大きいです。

 

つまり、真田幸村がいなければ、関が原の戦いや大坂の陣といった決戦が
優勢な側のワンサイドゲームで終わっていた可能性が高いです。

 

それを引っくり返して、これらの戦いで劣戦側の奮戦を見せ付けたという意味で
真田幸村の存在は大きかった、私はそう思います。

最後まで読んで下さり誠にありがとうございます。

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